大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京高等裁判所 昭和46年(う)1561号 判決 1971年11月30日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役八月に処する。

当審における訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

<前略>

一、控訴趣意第一(法令の解釈、適用の誤り)について

所論は、原判決は、本件公訴事実のうち第一の(四)の事故報告義務違反の点について、外形的事実はほぼ公訴事実のとおり認定しながら、これに適用すべき罰条である道路交通法(以下当裁判所の判断を示す場合においても、法と略称する。)七二条一項後段、一一九条一項一〇号の解釈については、その前身である道路交通取締法施行令六七条二項を合憲とした最高裁判所昭和三七年五月二日大法廷判決の趣旨に従うのが望ましいところであるが、憲法三八条一項の要請を考慮して「右規定による報告義務の範囲をできる限り制限的に解釈」することによりその合憲性を認めるのが相当であるとしたうえ「交通事故により人の死傷があつた場合において、警察官が事故発生直後に運転者のうちの一人からの報告等によつて右条項所定の事項を知りまたは容易に知ることができる状態に置かれたときは、警察官が負傷者の救護、交通秩序の回復につき適切な措置をとるために他の運転者に右条項所定の事項の報告を求める必要は消滅するものと考えられるから、かような場合には、他の運転者は、右事項を報告する義務を免れるものと解すべきである」として、本件の場合においては、被告人運転の車両によつて追突された車両の運転者は、事故発生直後、沼津駅前派出所に出頭して、同所の巡査に対し、追突事故により同乗者一名が負傷し病院に収容された旨報告し、同巡査からの連絡により沼津警察署勤務巡査部長らが現場に赴いたが、その時にはすでに負傷者は病院に運ばれてしまつており、また本件事故のため現場付近の交通が混乱したこともなかつたので、負傷者の救護ないし交通秩序の回復のために措置をとることもなく、現場検証を実施したものであることが認められるから、被告人は、追突した運転者であつても、右事項を報告する義務を免れるにいたつたものというべきであるとし、公訴事実第一の(四)の事故報告義務違反の事実は、罪とならないという理由で、無罪の言い渡しをしたけれども、法七二条一項後段の前身である道路交通取締法施行令六七条二項の規定が憲法三八条一項に違反しないことは原判決の引用する最高裁判所大法廷判決が明白に判示しているところであり、従つて改正後の法七二条一項後段の規定についても同様に解すべきであるから、同規定にいささかたりとも違憲の疑いがあるとして、これを制限的に解釈して、同規定の合憲性を認めようとした原判決の解釈は、すでにその前提において失当であるばかりでなく、原判決が複数の車両相互間において交通事故が発生した場合に、警察官が事故発生直後に一方の運転者からの報告等により法七二条一項後段所定の事項を知る状況に置かれたときは、他方の運転者は報告義務を免れるとした点も、法律上明定された義務をほしいままに否定するものであることすなわち法七二条一項後段の規定は、複数の車両相互間における交通事故が発生した場合においても、その交通事故をひき起した当該車両の運転者らのそれぞれに対し、自ら所定の報告義務をつくすようあくまで命じているものと解すべきこと文理上疑いをはさむ余地が全くないのであるから、原判決の解釈はこの明文に反するものであることおよびこれを実質的にみても、交通事故をひき起した当該車両の運転者らが自ら報告をなすことにより、その報告事項の内容について具体性をそなえ、正確かつ迅速を期しえられることや、もし原判決の考え方に従つて極端な場合を例にとると、自己以外に何人も警察官に事故の発生を報告する者がなければ、運転者に報告義務あり、いやしくも相手方の運転者或いは第三者の通報があれば、その報告義務がなくなることとなつて、報告義務者である運転者と全くかかわりのない外部的、偶然的な事情によつて報告義務の有無が決せられることとなり、単に法的安全を害するばかりでなく、その義務違反が本法のように刑罰法規に触れる場合においては、処罰の有無も同様外部的、偶然的な要素に左右され、著しい不均衡と不正義とを生ずることとなることにかんがみると、きわめて不当な解釈であつて、採るをえないものであり、とくにつぎにあげるような諸事情すなわち本件交通事故についての救護および報告は、被害車両の運転者であり、自らも受傷した勝又計芳によりもつぱらなされたものであり、加害車両の運転者である被告人は、事故直後その現場において相手車両に負傷者があることなどを知悉しながら、負傷等なんらやむをえない事情もなかつたのに、自ら、報告する意思がなかつたのはもちろん、右勝又計芳らにこれを依頼することもなく、事故現場をいち早く逃走したものであることや、被告人運転の車両は、追突したことにより、前バンバー、ラヂエターシエル、左前フエンダー、左霧除け灯、左前方向器のレンズ等が破損しており、従つて夜間に右のような故障車両を運転し、交通頻繁とみられる事故現場から走行をつづけることは、さらに新たな危険状態が発生するおそれなしとしないのであるから、これが未然に防止されるための適切な措置が警察官によつてとられる必要があつたことの認められる本件においては、原判決のように一方の運転者からの報告等によつて、他方の運転者が報告義務を免れると解することの不当であることがますます明らかとなるのであるから、本件について事故報告義務違反罪の成立を否定する判断をした原判決は、法令の解釈、適用を誤つたものであり、この誤りは原判決の全部に影響を及ぼしていることが明らかであり、原判決はその全部について破棄を免れないというものである。

そこで、所論に基づいて、記録を討すると、原判決は、本件公訴事実のうち第一の(四)の事実すなわち法七二条一項後段所定の事故報告義務違反の事実について、ほぼ公訴事実記載のとおりの事実すなわち昭和四三年四月二二日午後八時二五分頃ないし午後八時三〇分頃沼津市大手町五番地付近の原判示交差点の手前において、被告人運転の車両が勝又計芳運転の車両に追突し、その衝撃により右勝又計芳が加療約八か月間を要する頸椎捻挫、相手車両の同乗者伊藤義三が加療約三か月間を要する顎腕症候群の傷害を負つたことおよび被告人が警察官に対し右事故発生の日時、場所等前記条項所定の事項を報告しなかつたことを認めながら、これに適用されるべき罰条である法七二条一項後段、一一九条一項一〇号については、所論のとおりの制限的解釈をしたうえ、本件の場合においては、被告人運転の事両によつて追突された車両の運転者である勝又計芳が、事故発生直後、沼津駅前派出所に出頭して、同所の巡査に対し、追突事故により同乗者一名が負傷し、病院に収容された旨報告し、同巡査からの報告により沼津警察署勤務の巡査部長が現場に赴いているのであるから、右解釈にいう警察官が事故発生直後に運転者のうちの一人からの報告によつて前記条項所定の事項を知り、または容易に知ることができる状態に置かれたとして、被告人は右事項を報告する義務を免れるに至つたものとして、前記事故報告義務違反の事実は、罪とならないという理由で、無罪の言い渡しをしたことは所論のとおりである。

ところで、所論は、原判決の引用する大法廷判決が、法七二条一項後段の前身である道路交通取締法施行令六七条二項の規定は、憲法三八条一項に違反しないと宣言しているのに、原判決がその合憲とされた法七二条一項後段の規定に違憲の疑いがあるとして、これを制限的に解釈することにより、同規定の合憲性を認めようとしたのは、その前提において失当であると主張する。しかしながら、右大法廷の判決は、前記施行令六七条二項中事故内容の報告義務を定める部分は自己の不利益な供述を強要するものであつて、憲法三八条一項に違反し無効であるとの論旨に答えて、同令六七条二項により同条項所定の操縦者らに対し事故の報告を命ずることは憲法三八条一項にいう自己に不利益な供述の強要に当らないと判示したものであつて、原判決でいう事故報告義務の消長の点にまで言及しているわけのものではないから、原判決が所論の解釈をしたからといつて、そのことが右の判例と直接関係があるわけのものではないばかりでなく、原判決が所論のように法七二条一項後段の規定を「制限的に解釈することによりその合憲性を認めるのが相当である」と判示したのは、措辞やや適切を欠いたきらいがないでもないが、その趣旨とするところは、大法廷が合憲とした前記施行令六七条二項ひいてはこれに相当する改正法律の法七二条一項後段の規定を解釈するにあたつても、大法廷判決の趣旨に従うのが相当であるとする一方、いわゆる違憲説にも耳を傾けて憲法上の要請をとり入れ、運転者らが事故の報告を義務づけられる場合を限定的に解釈して、いささかたりとも違憲の非難をうけることのないような解釈をするのが相当であるということをうたつたまでのことであつて、所論が右において指摘する部分は、むしろこの種規定の解釈をするにあたりとるべき指針を強調したにすぎないものとみられないでもないのであるから、原判決が前記のように判示したからといつて、法七二条一項後段の規定が違憲であるとか、その疑いがあるとか断じているわけのものではなく、ましてや大法廷判決が明白に合憲と判断した事項を無視ないし軽視する趣旨のことを述べているわけのものでもないのであるから、原判決のした前記の判示は相当であり、原判決の試みた制限的解釈が、所論のように、その前提において誤りをおかしているとの非難をうくるいわれはごうも存しない。

しかしながら、原判決が法七二条一項後段の規定について示した前記の制限的解釈は、たとえ交通事故を起した一方の運転者から事故の報告がなされても、他方の運転者、本件の場合においては被告人が事故の報告をしなかつた事情のいかんによつては、事故報告義務違反の罪が成立するものであるのに、そのような事情を一切看過し、事故発生の直後に運転者のうちの一人から事故の報告がなされ、その報告によつて警察官が前記条項所定の事項を知り、または容易に知ることができる状態に置かれさえすれば、他の運転者はただちに右事項報告の義務を免れるに至るとした点において、誤つているといわなければならない。これを本件の具体的な事案について考察すると、原判決挙示の証拠のうち勝又計芳の捜査官に対する供述調書と当審における事実取調の結果、ことに証人勝又計芳の当審公判廷における供述によると、被害車両(タクシー)の運転者勝又計芳は、信号待ちのため、原判示の交差点入口側に設けられた横断歩道の手前において、一時停止していた際、前記のように被告人運転の車両によつて、いきなり追突され、そのため約五メートル程押し出されて停止したこと、同人はまもなく我に返つて、うしろの客席をみたところ、客の伊藤義三が両手で頭をかかえこみ、しかめ面をしていたので、その客を医者に連れてゆかなければならないと考え、下車すると、自車がさき程まで信号待ちをしていた地点の付近に被告人運転の車両が停止していたこと、そこで勝又はその車両の運転台の近くにゆき、被告人に対し「客が怪我していて大変だ」と訴えたり、車はそのままにしておくように指示したりしたのち、同所付近の歩道に上り、客を病院に運ぶためのタクシーが通るのを待つうち、同人の勤務する会社のタクシー(空車)が反対方向より通りかかつたので、その車を止め、事情を話して、その車を転回させて、自己の運転していた前記事故車両に横づけさせ、怪我した客をその車に収容して、病院にいつてもらつたこと、これと前後して同人が被告人運転の車両が停止していた方向をみると、同車両が見当らなかつたので、同人は客を収容した車が発進したのち、付近を探し廻つたが、やはり発見できないため、逃げられたものと思い、そこから約四〇メートル程はなれた沼津駅前派出所にあわてて走つていつて、事故の報告をしたこと、右の報告がなされたのは事故が発生してから長くみて五、六分後であつたこと、その間勝又の運転していた事故車両は押し出されて停止した前記の地点に放置されたままであり、また被告人運転の車両は本件追突事故によつて所論指摘のとおり破損しており、夜間にその故障車両を運転して、交通の頻繁な事故現場付近を走行することは危険であり、交通秩序の回復、交通の危険防止と安全確保について警察官による適切な措置が早急にとられる必要があつたことの各事実が認められ、また前記証拠に原判決の挙示する被告人の捜査官に対する供述調書をあわせ考察すると、被告人は追突事故をひき起したのち、引き続き車内にあつたが、そのうち自己が無免許運転をしており、かつ友人の原審相被告人高木重忠から借りうけた車両を運転していて事故を起したことを思い、右高木重忠に相談するため、勝又計芳が前記のように負傷した客を別のタクシーに収容しようとして動き廻つている隙をみて、自車を発進させて、現場から逃走し、右高木の待つているバー「南国」に至り、高木に対し事情をうちあけた結果、高木が被告人の身代りとなつて、事故の責任をひきうけてくれることになつたので、被告人は高木の運転する前記車両に同乗して既に実況見分の終つた事故現場に至り、高木に対し事故発生のもようを説明したのち、再び高木の運転する車両で、勝又計芳の勤務しているタクシー会社に至り、高木において、追突車両の運転者であると述べ、被告人ともどもあやまつたが、警察に連絡され、まもなく同所に駈けつけた警察官によつて、高木の酒気帯び検知がなされたこと、その検知がなされた時刻が午後九時四五分頃であつたことおよび被告人はこの事故によつて負傷しなかつたことが認められる。すなわち被告人は追突によつて相手車両の同乗者が負傷しており、また自、他双方の車両が損傷をうけたことを知りながら、自分が負傷したわけではなく、また他の負傷者救護に協力するなどのやむをえない事情もなく、報告しようと思えば事故後いつでも直ちに報告ができる状態にあつたにもかかわらず、事故の報告をする意思なく相手車両の運転者勝又計芳が負傷者救護に奔走中のすきに、事故現場から逃走したものであることが認められる。そして法七二条一項後段は事故車両の各運転者にそれぞれ報告義務があることを規定しているのであるが、各運転者は、警察官が交通事故に対する応急の処理をする必要があるために、右の報告義務を科せられたものであつて、それに必要な限度においてのみ報告の義務をおうのであり、従つて若し一方の運転者により事故後直ちに右法条所定の事項の報告が警察官になされ、それにより負傷者の救護、道路における危険の防止、その他交通の安全と円滑を図る為の万全の措置がとられ、既に警察官関与の必要性がなくなり、最早他の運転者より重ねて報告をしても意味がないような状態に立ち至つたときは、他の運転者による報告義務が消滅することも考えられるのであるから、本件の場合、追突した運転者である被告人が被害運転者から直ちに右事項の報告が警察官になされた結果事故に対する応急処理が完了した状態に至つたことを見届けた上で、事故現場を立ち去つたというのであれば、その際の事情によりあるいは、事故報告義務違反の罪が成立しないとする余地もないのではないが、前段認定の通りそのような事跡が全く認められない被告人については、事故報告の意思なくして事故現場から逃走してしまつた時点において、既に報告義務をつくさなかつたものとして事故報告義務違反の罪が成立したものといわなければならない。従つて被告人の逃走後に、相手方車両の運転者勝又計芳から事故の報告がなされた事実があつたとしても、またその報告が事故発生後それほど時間が経つていない時点においてなされ、従つて勝又運転者については、直ちに報告がなされたものと解せられたとしても、被告人について既に成立した事故報告義務違反の罪に何ら消長を来たすものではない。然るに、原判決は、被告人の側に存する右の重要な事実を看過し、その後に、被告人と何ら関係なく、相手運転者勝又の報告があつたという事実にとらわれ、その報告があつたことにより被告人は事故報告をする義務を免れるにいたつたとして、事故報告をしなかつたことは罪とならないとして無罪の言い渡しをしているのであるから、法七二条一項後段の解釈ないしはその適用を誤つたものといわなければならない。そして右の事故報告義務違反の罪と原判示第一の一ないし三の罪は、すべて刑法四五条前段の併合罪として処断されるべきものであるから、原判決はその全部について破棄を免れない。論旨は理由がある。

よつて、本件控訴は理由があるから、量刑不当の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、当裁判所においてただちにつぎのとおり自判する。

(罪となるべき事実)

第一の四として、左の事実を追加するほかは、原判示第一の一ないし三のとおりであるから、これを引用する。

「右二記載の日時、場所において、右二記載のとおり、自己の運転する自動車の交通により、勝又計芳および伊藤義三に傷害を負わせたのに、ただちにその日時、場所等所定の事項をもよりの警察署の警察官に報告しなかつたものである。」

(証拠の標目)<略>

(江里口清雄 上野敏 中久喜俊世)

<参考>原審判決

主文

被告人甲斐昌博を判示第一の一、二の罪につき禁錮一年に、判示第一の三の罪につき罰金二万円に、被告人高木重忠を懲役八月に処する。

被告人甲斐昌博に対し、この裁判確定の日から三年間右禁錮刑の執行を猶予する。

被告人高木重忠に対し、この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

被告人甲斐昌博において右罰金を完納することができないときは、四〇日間同被告人を労役場に留置する。

被告人甲斐昌博に対する公訴事実中、警察官に法令の定める事項を報告しなかつた点は、無罪。

理由

(罪となるべき事実)

第一、被告人甲斐昌博は、

一 昭和四三年四月二二日午後八時二五分頃ないし午後八時三〇分頃、沼津市大手町五番地付近道路において、公安委員会の運転免許を受けないで、普通乗用自動車(相模五ろ八四三〇号)を運転し、

二 時々自動車の運転をしていた者であるが、昭和四三年四月二二日午後八時二五分頃ないし八時三〇分頃、前記自動車を運転して沼津市内の道路を国鉄沼津駅方面から時速約二〇キロメートルで南進中、同市大手町五番地付近交差点の手前にさしかかつたが、自動車運転者としては前方左右を注視し進路の安全を確認して進行し事故の発生を未然に防止しなければならない業務上の注意義務があるのに、これを怠り、降雨のため曇つてきた前面ガラスを拭くことに気を取られて漫然進行した過失により、先行の勝又計芳(当時四二年)運転の普通乗用自動車が同交差点北側横断歩道の直前で信号に従つて一時停止しているのを同車の後方約五メートルに接近してはじめて気付き、急停止したがまにあわず、自車前部を同車後部に追突させ、その衝撃により右勝又に対し加療約八か月を要する頸椎捻挫、右勝又運転の車両に同乗していた伊藤義三(当時三三年)に対し加療約三か月間を要する頸腕症候群の傷害を負わせ、

三 右二記載の日時場所において右二記載のとおり自己の運転する自動車の交通による事故により勝又計芳および伊藤義三に傷害を負わせたのに、ただちに運転を中止して同人らを救護することをせず、

第二、被告人高木重忠は、

一 昭和四三年四月二二日午後九時頃、沼津市東高沢町二〇〇番地の一付近道路上から同市三枚橋町一三一番地の二付近道路上にいたるまでの間の道路上において、公安委員会の運転免許を受けないで、普通乗用自動車(相模五ろ八四三〇号)を運転したが、右運転の際呼気一リットルにつき0.25ミリグラム以上のアルコールを身体に保有し、

二 被告人甲斐昌博が前記第一の一、二記載のとおり公安委員会の運転免許を受けないで自動車を運転しかつ業務上の過失により勝又計芳らに傷害を負わせた際、右事件発生直後に同市東高沢町二〇〇番地の一バー「南国」において右甲斐から右事件の身代り犯人として警察官に虚偽の供述をするように依頼されてこれを承諾し、同日午後九時三〇分頃、同市三枚橋町一三一番地の二伊豆箱根鉄道株式会社沼津ハイヤー営業所において、沼津警察署勤務巡査部長本多貞雄に対し右事件の犯人は自己である旨虚偽の供述をし、もつて犯人を隠避し

たものである。

(証拠の標目)<略>

(一部無罪)

本件公訴事実中起訴状記載第一の(四)の事実は、

「被告人甲斐昌博は、昭和四三年四月二二日午後八時二五分ころ、沼津市大手町五番地付近道路において、普通乗用自動車(相模五ろ八四三〇号)を運転中、自車の前部を勝又計芳(当時四二年)運転の普通乗用自動車の後部に追突させ、その衝撃により右勝又に対し加療二五七日間を要する頸椎捻挫、右勝又の車両に同乗中の伊藤義三(当時三三年)に対し加療九〇日間を要する頸腕症候群の傷害を負わせたのに、直ちにその日時場所等所定の事項をもよりの警察署の警察官に報告しなかつたものである。」

というのである。

右日時場所において被告人甲斐運転の判示普通乗用自動車が勝又計芳運転の普通乗用自動車に衝突しその衝撃により勝又および右勝又の車両に同乗中の伊藤義三が右傷害を受けたこと、および被告人が警察官に事故発生の日時場所等道路交通法七二条一項後段所定の事項を報告しなかつたことは、前記各証拠によつて明らかである。

しかしながら、本件の場合被告人に右道路交通法七二条一項後段所定の事項を報告する義務があるかどうかについて疑問があるので、検討する。

道路交通法七二条一項後段は、車両等の交通による人の死傷又は物の損壊があつた場合当該車両の運転者は警察官が現場にいるときは当該警察官に、警察官が現場にいないときは直ちにもよりの警察署の警察官に当該交通事故が発生した日時及び場所、当該交通事故における死傷者の数及び負傷者の負傷の程度並びに損壊した物及びその損壊の程度並びに当該交通事故について講じた措置を報告しなければならないものと定めている。

右道路交通法七二条一項後段に関しては、交通事故は犯罪を伴うことが多く、ことに人の死傷があつた場合には運転者につき業務上過失致死傷罪が成立することが多いから、運転者に対し右条項所定の事項を報告する義務を課することは犯罪事実に密接に関連し犯罪捜査の端緒となる事項の陳述を強制することになることを理由として、右道路交通法の規定は何人も自己に不利益な供述を強要されないことを定めた憲法三八条一項に違反する旨の見解があり、右見解にも相当の理由があるが、最高裁判所は、右道路交通法の規定の前身である道路交通取締法施行令六七条二項につき、同条が警察署をして速かに交通事故の発生を知り被害者の救護、交通秩序の回復につき適切な措置をとらせもつて道路における危険とこれによる被害の増大とを防止し交通の安全を図る等のため必要かつ合理的な規定であり、操縦者は警察官が交通事故に対する処理をなすにつき必要な限度においてのみ報告義務を負担するものであるとして、右道路交通取締法施行令の規定が合憲である旨判示しており(最高裁判所大法廷昭和三七年五月二日判決、集一六巻五号四九五頁)、道路交通法七二条一項後段についてもこれと同様に解するのが右判例の趣旨であると解せられるところ、右判例の理由とするところも首肯することができないわけではなく、法的安定性の見地からはできるかぎり右判例の趣旨に従うのが望ましいところであり、他方、右道路交通法の規定の解釈にあたり前記憲法上の要請を考慮して右規定による報告義務の範囲をできるかぎり制限的に解釈し、交通事故により人の死傷があつた場合については、警察官が負傷者の救護、交通秩序の回復につき適切な措置をとるために運転者に右条項所定の事項の報告を求める必要が現実に存在しそのため右報告については黙秘権の保障が及ばないとする合理的な理由があると認められる場合にかぎり運転者は右規定による報告義務を負うと解するならば、前記違憲説の疑問とするところもかなりの程度において解消されるものと考えられるので、これらの点を考えあわせ、右道路交通法の規定を右のように制限的に解釈することによりその合憲性を認めるのが相当である。

右のような観点から考えると、右道路交通法七二条一項後段の文理上は報告義務を負うように見える場合であつても解釈上報告義務を負わない場合が存在し、たとえば、交通事故により人の死傷があつた場合において警察官が事故発生直後に運転者のうちの一人からの報告等によつて右条項所定の事項を知りまたは容易に知ることができる状況に置かれたときは、警察官が負傷者の救護、交通秩序の回復につき適切な措置をとるために他の運転者に右条項所定の事項の報告を求める必要は消滅するものと考えられるから、かような場合には、他の運転者は、右事項を報告する義務を免れるものと解すべきである。

本件の場合について考えてみると、司法警察員本多貞雄外一名作成の昭和四三年四月二二日付報告書の謄本、司法警察員本多貞雄作成の昭和四三年四月二三日付事故現場の実況見分調書の謄本、勝又計芳の司法警察員に対する昭和四三年四月二二日付供述調書の謄本および伊藤義三の司法巡査に対する供述調書謄本を総合すると、本件事故が発生した場所は、沼津警察署の管轄区域内の同署駅前派出所に近い沼津市大手町五番地付近の通称駅前交差点の付近であつて、本件事故が発生した昭和四三年四月二二日午後八時二五分頃ないし三〇分頃の直後に追突された車両の運転者である勝又計芳が右駅前派出所に出頭して同派出所勤務の鈴木巡査に対し右日時に右場所において追突され同乗者一名が負傷したので病院に収容した旨の報告をし、同巡査からの連絡により同署勤務司法警察員巡査部長本多貞雄らが現場に赴いたが、その時にはすでに負傷者伊藤義三は病院に運ばれてしまつており、他の負傷者勝又計芳はまだ苦痛を訴えていない状態であり、また本件事故のために現場付近の交通が混乱したこともなかつたので、負傷者の救護ないし交通秩序の回復のために措置をとることはなく、午後九時頃から業務上過失傷害被疑事件としての現場検証を実施し、その終了した午後九時二五分頃より後に勝又が同巡査部長に対し苦痛を訴えたので、医師の治療を受けるように指示したことを認めることができる。

右事実によると、本件事故現場の管轄警察署である沼津警察署の警察官は、事故発生直後に運転者の一人からの報告によつて道路交通法七二条一項後段所定の事項を知りまたは容易に知ることのできる状況に置かれたものであり、したがつて、警察官が負傷者の救護、交通秩序の回復につき適切な措置をとるために運転者に右事項所定の事項の報告を求める必要は消滅したものと認められる(このことは、右認定の報告後の経過に徴しても、明らかである。)から、運転者である被告人は、右事項を報告する義務を免れるにいたつたものというべきである。

よつて、本件公訴事実中第一の(四)の事実は、罪とならないものとして、無罪の言渡をすべきである。<以下―略>

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例